文を書く

 文を書くのは難しい。この難しさというのは色々あって、僕の場合は語彙や表現力の足りなくていまいち表現したいことが表現できないなぁということです。
 例えば、空が青いと表現したいときにどのように青いのか、とかそれが気持ちの良いものなのかあんまり良くない青なのか表現できない。川が流れるように、一定量の水を脳内に流すような文を書くのに気を使う。

 あぁ、この話もまとまらない。いつかまた続きを書こうと思う。  

新年初撃ち

 普段Twitterではくだらないことばかりを言っている。そういえば自分の活動についてツイートしたこと、あまりないなと思った。

 今日は新年初のサバゲーだ。おもちゃの鉄砲を撃ち合って戦争ごっこを楽しむスポーツだ。格好も色々で自衛隊や旧陸軍、アメリカ陸軍といった軍装をする人も入ればおそまつさんのパーカーを着た5人組(残りの一人はこれなかったらしい)も。人生初サバゲだという女性を引き連れた男性サバゲーマー(こういうのはだいたい大学生でサークルの先輩後輩の関係であるのが相場だ。羨ましい)も何組か居た。

 本来は僕も複数で来るはずだったが先輩二人は骨折、仕事でキャンセル。後輩二人も仕事と所用でキャンセル。僕一人でのサバゲーとなった。正直寂しかった。が、ゲームが始まればそんなことは関係もう頭になく15分間をどうやって生き残るか、敵の陣地をどうやって崩すかに燃えたし、裏道で敵と鉢合わせ、奇襲、赤の他人との連携。とにかく楽しかった。

 帰りのバス、疲労感でぼんやりとしてる時ふと思った。これ、一人で来るの辛いな。
 仲間と一緒に来ればもっと楽しかっただろうなという思いと、これからサバゲーを始めたいと思っても回りに人がいなくて始め辛い人もいるだろうという考えがぐるぐる回り始める。

 やっぱり難易度高いよなぁ。楽しいスポーツなのになあ。

描く、模倣、写す

 絵を描くことを趣味としている。とはいっても漫画を描いたり自由に落書きをするわけでもない。ひたすら、自分が好きな漫画やイラストを模写するだけだ。
 きっかけは一昨年の11月だ。仕事が暇すぎた。暇すぎるが仕事中に堂々とゲームや携帯をいじるわけにもいかない。なにか暇を潰すことはないか。ポケットから鉛筆とメモ帳をとりだす。霞だした景色を元に戻すために自分の顔を両手で叩き全神経を鉛筆を持つ手に注ぐ。
 出来上がったのは自分が目に見えてる景色とは全く違うなにかだ。黙ってメモ帳を閉じ鉛筆を転がし始める。

 ぼくは絵を描くことができない。小さい頃から絵を描くことを避けてきたというのもある。なぜ描かないのか。小さい頃に自分が描いた絵をバカにされたからだ。長男坊であり、ゲームしか取り柄がないくせに完璧主義でプライドだけは高かったぼくにとってはそれは許せないことだったんだと思う。
「絵なんて好きな奴に描かせればいい」
「うまい絵が描けるのは才能を持つ奴だけ。俺にはそういうものはない」
 夏休みの宿題や図工、美術の課題で絵を描くことがあった。しぶしぶ描いた僕の作品は周りよりも一段とひどい。それをネタにされることが多々あった。学校の校舎を描かせれば幼稚園児が描いたような作品をだし、デッサンの授業ではどす黒い色をしたリンゴがでかでかと張り出された。

 景色は無理だからせめてアニメキャラを写してみようと思った。結果は最悪。産み出されるものはお手本とはかけ離れているものだった。悔しかった。苦痛だった。それでも似せよう似せようと努力してるうちにマシになってきた。だがそれも限界に近づいてきた。描けども描けども理想とは程遠い。結局才能なんだろうか。普段絵を描く習慣はない。一ヵ月絵を描かない時もあった。その時にこんな言葉を聞いた。
「描けない描けない言ってる奴はとりあえず適当な紙に絵を描け。最低でも500枚。そこからがスタートだ」
 500枚。気の遠くなる枚数だった。でも、それをやりきればスタートラインに立てるのか。だったらやってやろうじゃないか。成長した姿を見せてやる。

 最初は苦行だった。だが、枚数を重ねるうちに無理だと思っていた構図が描けるようになってくる。ただ真似をしてるだけなのに楽しい。最初は一枚絵や棒立ちのイラストやバストアップのものを選んでいたがだんだんと動きのある絵を描くようになってきた。気づいたら両面に絵が描いてあるコピー用紙が67枚。密度はその時によって違うが飽き性な自分にとっては信じられない枚数だ。気づいたら一日中机に張り付いて絵を描くこともあった。

 今の目標はとにかく好きな絵を描きまくることだ。動きがあって、楽しそうな絵を楽しく描く。片寄るかもしれないが経験値を稼ぐには良い機会だ。巧くなるのは二年後、三年後もしかしたらもっとかかるかもしれないがのんびり、大切にやっていきたい。

タイトルの""意味""

 僕は片付けができない。そしてものを散らかす。特に、ストレスが貯まったときだ。ある日先輩が僕の部屋に遊びに来たのだが僕の部屋を見て一言「汚い、掃除しろ」と怒られることがしばしばある。
 私、プライベートでも誰と会うわけでもなく目的もなく電車を乗り継ぎふらふらとあてのない旅をする。
 公、仕事にたいしても周囲の人間関係や新しい仕事にあたふたしている状況だ。
 無法地帯、ぼくの部屋やとりまく状況が整理されていない状態で僕自身に向かってくる。それを整理整頓する余裕や気力がないのは問題だ。問題だがどうしようもないのだ。それを乗り越える努力をしたかと言われると疑問符が頭を流れる。
 嘘です。部屋が汚いからこれでいいやと思っただけです。サブタイトルも、「毎日更新できればいいなぁ」的な感じだ。だからぼくが片付けられない""365""の理由。


 創作者の性だろう。なにかのタイトルや創作キャラの名前にどうしても意味を込めてしまう。無意味な計画や無意味なものにはなにも宿らない、という強迫観念に迫られているのかもしれない。
 見つけられるといいな。ぼくが部屋を片付ける意味を。

良い癖をつけたい

 自分はかなり飽き性だ。意思が弱いとも言えるしめんどくさがりでもある。そうなった原因はやはり若い頃に(今年22になる若者が言うのもなんだが)苦手なことから逃げ続けたり辛い思いを自分から進んでやらなかったからなんだなと思う。勉強しかり、筋トレしかり、人間関係の形成もそうだし恋愛も自信のなさから、自分が傷つくのが嫌で逃げていた。
 そのツケが利子もついて今の僕を蝕んでいるんだから人生はよくできてるなと思う。幸いにも回りの助けがあり、信頼できる先輩に恵まれ良い意味で影響され考えを改めてから徐々に軌道が乗ってきた感じはある。低いレベルではあるけれど。

 職場では毎年「今年の目標」を書かされる習慣があった。今年もなにか書かされるんだろうな。そんなことを考えながら出勤してすぐだ。
「一応偉い人まであがるからさ、適当に何か書いてよ」
 今日中にねと付け足されて今年の目標とゴシップ体でデカデカと印刷された紙を渡される。なんとなく半分、退屈しのぎと好奇心半分で書かれている内容を確認する。
「彼女をつくる」
「体重をなんキロ減らす」
「自分を高める」
 僕は変なところで凝り性なのでよしておけば良いのにテンプレな目標を嫌う質がある。そんなに仕事も忙しくない。ない脳みそをこねくりまわして何個かの目標をピックアップした。
「一ヶ月に一冊は本を読む」
「一時間運動をする」
「一時間勉強をする」
 驚くほどテンプレ的だな。というのが感想だった。これ全部こなすの辛いなと思った。決めた。これにしよう。
「やると決めたことは絶対にやる」
 これくらい極端な方がいいだろう。バカすぎてなんとなくブラック臭がする。まあこんなもんだろう。

 やると決めたことは絶対にやる。この癖がつけばもっともっと良い人生を送れるはずだ。少し遅いスタートなのかもしれない。けど、少しの遅れでも取り戻して行きたいなと思う